広郷土史研究会御中

   貴会会報8723 「広甘藍の興り」「記」の削除願い

玉木 伊之吉の孫

私、玉木伊之吉の孫は、貴会会員から「祖父伊之吉氏のことを公民館で発表して欲しい」との依頼をうけたので 事前に家にある伊之吉の賞状と写真を見せて、少し話しをして帰りました。その時、私から聞いたことを私の名前で書く事、写真を使用することを了承しましたが、公民館で発表した日に初めて「移民の方が種を送って来られた。」と聞き、全くありえないと思いながらも、反論できる自信もなかったのでそのまま帰りました。

その後私が話したとされる内容の会報が送られてきましたが、当時、私は母の介護に忙しかったので、開封もせず読んでいません。ただし、送られてきた会報の私の話したとされる部分の原稿は事前に見せてもらったことがありません。又、矢野町の山本さんから昔の農業雑誌等を送ってもらいましが、その内容と 持っている『呉市制100周年記念 呉の歴史』の内容から、「移民の方が種を送られたなどと信じる人はいないだろうし、個人的な会で何を言われても証拠もなしに信じる人はいないだろう。」と 関わるのをやめました。

 ところが最近(2013.11.3)「広まちづくり推進協議会」のパンフレットで私の知らない『広甘藍の歴史』を見て、広市民センターや呉市史編算室に事実と違うと言いに行きました。編算室の人に指摘され郷土史会会報87号に「広甘藍の興り」として、私の名前で会報が書かれていることを知りました。「私が話したことが誤解されているし、話してもいないことが書かれている。」とおどろいています。

会報87号の「広甘藍の興り」の記述の中で「広甘藍栽培のルーツは『会報84号』を読んで初めて知りました。そこで記されていた内容を要約すると次のようになります」と書かれていますが、これは発表当時に会報84号を読んでもいないし、当時に「何年に栽培されたのか?」「種は、どうやって手に入れたのか?」と聞かれたことに「詳しく知らない。」と答えたことを勝手に書き換えられたと思います。「伊之吉の孫」である私は、そんなルーツの話しは聞いた覚えがないので要約することはできません。

「記」の部分は私にとっては初耳で、玉木家にはそのような言い伝えはいっさい残っていません。「広まちづくり推進協議会」や広地域の小中学校が郷土の歴史として広甘藍の歴史が盛んに語られるようになりましたが、その記述の正当性の根拠を私の発表文にすりかえるていると聞いて、これは、だまっていてはいけないと思しました。実際に話していないことを書かれたり、言ったことが歪曲されたり、事前に完成原稿の確認と掲載の承認も得ずに発表されたものに責任や正当性の根拠にされたのではたまりません。

貴会は事務所が広市民センター内にあり、呉市が発行していると受け取られています。そうであれば玉木家としては、これ以上、『広甘藍』の記事がなんの訂正のないまま放置されることを許す訳にはいきません。すみやかに削除の処置をとられるようお願いするものです。

平成26217